スリランカで突然の激痛が僕を襲う
9月23日の深夜、僕は突然の激痛が僕を襲った。息をするのが苦しい今まで感じたことの無いような痛み。どうせすぐに治るだろうと思っていたが何時間経とうとも全く痛みが治る気配は無い。そうこうしていると結局朝になってしまった。
次の日、夕方になっても痛みが治らないのでどうしようもなくなり、近くの総合病院へ。採尿と採血と医師の診断を経て、痛み止めの座薬のみで翌朝に精密検査に来るように促され帰宅。その日の深夜、再び激痛が僕を襲う。昨日より明らかに悪化してる。数分我慢してみたものの、本当に耐えきれなくなり身悶えながら下の部屋に住むヤスマを起こし、救急で同じ病院に向かった。途中、嘔吐するほどの痛さと苦しさ。
結局、緊急検査入院となりエコーやCTなどを受けた結果、医師から出た言葉は…
「腫瘍がある。悪性かもしれない」
なんだって!
まだ36歳なのにガンになってしまったと言うのか。
突然の事に慌てふためくと思ったら、同席してその話を聞き顔がひきつり消沈するヤスマとは裏腹に、僕自身は意外と冷静に事実を受け止め、「これはポルシェとかフェラーリを買う口実ができたな」「残りの人生をどう楽しもう」とかを割と楽観的に考えていた。
日本へ緊急帰国
早く日本で治療した方が良いと言うこともあり、すぐに残り1席だったビジネスクラスを予約。
痛み止めを数時間おきに使って死にそうになりながらも、バンダラナイケ国際空港から成田空港を経て広島空港へ到着。
そのまま救急で総合病院へ。その日は日曜日で翌日も祝日。一時的に痛みが収まりつつあったこともあり、僕としては「一旦大体の診断が出れば改めて火曜日に病院に来ればいいかな?」くらいに考えていた。
病院についてすぐにエコーとCT検査を受けた直後、明らかに医師や看護師たちがザワザワしだした。
そして医師から告げられた言葉は、
「重度の急性胆嚢炎です。炎症のレベルが普通の人の30倍以上で胆嚢の壁からすでに胆汁が溢れ出して、肝臓と腸にまで炎症が広がっています。すぐに緊急手術が必要ですが、ここでは医師が足らないため救急車で別の病院に行ってもらいます」
とのこと。
僕としてガンでないことが確定的になり、どちらかと言うとめちゃ安堵した。
初めての手術
運ばれた病院にて、すぐに脇腹から管をぶっ刺され、胆汁を体外に出す処置(皮下麻酔のみで肝臓を貫通させるこの処置が死ぬほど痛い)が施され、手術することが決まった。
生まれて初めての手術、全身麻酔。なんの事はなく寝て起きたら終わってた感じ。
きつい麻薬が体内に入っていたこともあり、痛み自体はさほど感じない。
翌日、麻薬が切れてかなり痛かったけど僕は回復へと進み出した。
その後1週間ほどですっかり良くなり、晴れて退院した。
死に直面した僕はワーゲンバスで旅に出ることにした
実際、もっと重病な人からしたら全然大したことない急性胆嚢炎。でもスリランカでの大誤診、延2週間を超える絶食と、生まれて初めての手術を経験した僕は、こんな事を思うようになった。
『旅に出たい』
大体、死に直面した人がやりたくなるベタな展開。なんか映画でも見た事がある。でもこの時の僕は本心からそう思った。
実はその時点で僕が参加している、わいざんオンラインサロン のメンバーの元を回る全国ツアーが決定していた。でもどうせ全国を回るなら、とびっきり過酷で冒険のような旅にしたい。
やたら旅に似合う車、ワーゲンバス VW Tyape-2
入院中、絶食で研ぎ澄まされた僕は考えに考えた。
旅に似合う車はなんなのか?
どんな車で行けばエキサイティングな旅になるのか?
そして行きついた1台の車。
それは、ワーゲンバス タイプ2。それも飛び切り古くて今にも壊れそうな絵になるやつ。
コレ!と決めた時の僕の行動は自分でも驚くほどに速い。
退院後すぐに目星をつけ、迷わず購入。
こうして僕の元に1台のワーゲンバスが届いた。
電装系は全滅、パワステの無いハンドルは案の定とても重く、ブレーキは現代の車と比べて全然効かない。
思った通りの車だ。僕はこんな相棒を求めてたんだ。
こうして僕のワーゲンバスライフは突如として幕を開けた。
※事実を元に一部僕の都合の良いように事実を捻じ曲げ脚色しています。